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2011年12月

2011年12月31日 (土)

12月あれこれ

Title

                                                           

【写真1】

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来年の『春風亭柳太郎・富田富士也  二人会』に向け、講習会が始まった。

第一回目で顔見せ程度の内容だったけど、初めての方も多くてこれから先が楽しみだ。



【写真2】

なんと私が審査員をやってしまった。

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『落語国際大会in千葉』という素人さんの落語コンクールで、予選会もあるほど大勢の方達が参加した。

元々何かを選ぶのが(選ばれるのも)苦手な上に、落語も伝法な私が審査員など出来るわけがないと思ったんだが、
こうして縁があって客席で聞かせてもらうと、これがみんな面白い。そして上手い。

アマチュア落語の底辺の広がりを感じさせるのに充分だった。

ただ困ったのが…選考!

やはり自分に審査など向かないことがよくわかった。
批評も殆どしなかった。「ダメ出し」って言葉が大嫌いなんですよ。ダメではないから。

結果、会場をウロウロする得体の知れないオッサンになってしまったが…まぁいいか。

勉強になりました~




【写真3】

千葉の大会は予選まで入れると二日の日程だったので、一日目の夜は千葉に泊まることに。
さっそく審査員全員(円馬兄、米福兄)で夜の街へと繰り出した。

といっても怪しげな店などではない。

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お洒落なジャズバー『じゃず猫』

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コステロのかみさんが歌うビデオを見ながら、ゆったり飲むのも悪いもんじゃない。


翌朝、早く起きてホテルの近くを散歩する。

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海沿いの風景がなんともいえず味わいがあったんで、何枚も写真を撮ってしまった。

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↑モノリス  (嘘)


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そして、このカメラで初めて富士山が撮れたっ
さすがオリンパス、望遠レンズがしっかりしてるぜ!

経営はおぼつかないけど。




【写真4】

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高円寺『ノラや』で鯉昇師匠と二人会。

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鯉昇師匠、ホントに面白いですよね。
(芸人なのに)私、昔からファンですもん。

今日も高座はもちろん、打ち上げでもみんなを笑わせっぱなし。
しかも私も初めて聞いた話ばかり。なんであんなにネタが豊富なのかなぁ。

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ノラや近くのレコード屋。松田聖子に裕次郎……入口では高石友也の映像が……。

いつの時代なんだっ
でも、これぞまさしく高円寺。




【写真5】

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新百合ヶ丘で講演会。
タイトルは『寄席へ行こう!』


立って講演をするのは未だに慣れないが、最近こういう仕事が増え、ようやく間がもてるようになってきた。
といってもやっぱり、やりやすいのは座って落語なんですけど。


しかし落語も一時間以上になると足がぁっ
また課題が一つ増えた。




【写真6】


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高校の同級生U君とピアニスト、セルゲイ・シェプキンのコンサートへ。

この人のコンサートは何回か行ったことがあるけど、
今日は、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』とブラームスの『間奏曲』(抜粋)という、
私の大好きな二大名曲をやるというんだから聞かないわけにはいかない。

自分にしては珍しく80%の割合で起きて(コラ)聴かせていただきました。
いやぁ、何度聴いてもどっちもいい曲だ!  『ゴールドベルク変奏曲』の繰り返しは長過ぎるけど。

それにしてもこの選曲……シェプキンもやっぱりグールド好きなのかな?




【写真7】

さまざまな忘年会


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なぜか、お宅へお邪魔して落語をやるという、そういう催し。
の後はみんなで飲む。落語の出来の悪かった私は、もっぱら反省してノンアルコールビールでしたが。

最後はギターを弾いて盛り上がる。
70年代っぽくていいなぁ。ギター弾けたんですね、Yさん!






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監督田中さん家で飲む。

○○○は○○○らしいが、それはここには書けない……。
(なんのこっちゃ)





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落語芸術協会の納会。 米丸師匠がスーツでビシッとキメてる一方で、

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こういうカジュアル過ぎる方がいたので撮ってみた。
自販機のジュースを補充する業者の人かと思ったよ。






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我が昇太一門の忘年会。知らない間にだんだん増殖しているのだ。フフフ……。
最近入った昇吾さんは面白い人だってことがわかった。

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そのあと昇太師と、同時開催している鯉昇師匠(楽輔師匠・喜多八師匠も)の忘年会へ。
もはやいろんな人がい過ぎて、何がなんだかさっぱりわからない……。
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ご覧の通りの状況だ!


終電を逃したのは言うまでもない。




【写真8】

いよいよボロ携帯が本格的に壊れてきたので

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買い換えちゃったよ!  スマートフォンに。

使ってみた感想……日本のガラパゴス携帯が「フカフカのソファー」だとすれば、スマートフォンは「硬い椅子」だな。

日本の携帯のように至れり尽くせりな指南が全くないんで、最初は何をやったらいいのかすらわからないけど、
慣れてくれば、なるほどこれは快適だ。

しかし私なんか「わからないボタン」が未だに半分以上あるんで、使いこなしているとはとても言い難い。

もっとも日本の携帯にも、無意味に親切で「余計なお世話」的な機能がいっぱいあるから、
どっちもどっちなのかなぁ。

まぁ今のところ私には、「高過ぎる大人のオモチャ」ってことで。




【おまけ】



追悼文のようなもの。



①小松左京さん

日本のSF作家の中で一番好きだった。

もちろん、『日本沈没』や『復活の日』、『首都消失』といった有名な長編も好きだけど、
私がこよなく愛するのは何気ない短編~中編だ。
どの作品も、ベートーヴェンのピアノソナタのように多彩な表情を持ってて、読み飽きない。
そして、そこに潜む一片の切なさ。まるで落語じゃないか?

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『戦争はなかった』(新潮文庫)

私の愛読書。別にSFの枠でくくる必要もないほど深い作品の数々。これからも読み続けることだろう。



②坂上二郎さん

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学生時代、コント55号のビデオを見た時はビックリした。

萩本欽一さんのスピーディーなツッコミをものともせず、軽く受けてボケる二郎さん。
腹の底から笑いころげた。

本当に、こういう軽い芸風の人がいなくなってしまったなぁ。




③立川談志師匠

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まぁ私なんかは、全盛期の談志師匠を知らず、漫才ブーム時のたけしさんの影響を通じて好きになったので、
小遊三師匠・(現)円楽師匠あたりの世代からしたら「何言ってんだ」ってことになるかもしれないけれど、
自分が芸人というのを差し置いても、常に言動が気になる師匠だった。 

談志師匠のあの毒舌、あれこそ東京の下町の人間に特有な「照れ」を見事に体現していると思うのだけど、
これは意外なほど一般の人に理解されていない。

お弟子さんから聞くと、二人っきりでいるとき談志師匠は絶対にどならず、優しかったという。

なんかおこがましいかもしれないけれど、私はどこかの部分で談志師匠の芸風を受け継ぎたいと思ってます。

ちなみに自分の人生で、いちばんビックリした落語のサゲは談志師匠の「風呂敷」である。

追悼番組もいろいろ流れたけど、たけしさんの情報番組で流れた談志師匠のコメントにはしびれた。

これは談志師匠が亡くなる一年前、たけしさんへ向けた二、三分ほどのメッセージビデオで、
完全に死を意識した談志師匠が、時折咳をしながら出ない声を振り絞って、
「後継者」のたけしさんに伝えた最後の言葉である。

先に述べたような談志師匠の人柄がよく出ていると思うので、ここにその一部をご紹介しよう。
興味のある方は、まだYouTubeで見られると思うので、検索してご覧になって下さい。

                                                           

「 たけしねぇ  まだやってんのかあいつ  うん ずいぶん昔に会ったっきりだけど
年とってから忘れっぽくなって(中略)

たけしの記憶というのはね ツービートっつったことあるよあいつ  うん
誰と組んでたのかな  えー  上岡龍太郎と組んでたのかな

なんでもいいよ  お前生きてりゃ  うん  俺なんかずいぶん  もうダメだと言いながら(中略)

あとなんか映画撮ってるって  お前の話してるとキリがなくなるから  この辺でやめるわ  うん

どうでもしろお前なんぞ  うん うん
元気に頑張って銭稼いどけ  うん  うん
稼いだ銭 太田にでもやってやれ

はい 以上  立川談志でございました
おう  小室直樹先生が死んだよな  お前知ってるよな

じゃあな
じゃあ  じゃあ じゃあ  じゃあ

じゃあ  」

                                                           

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