浅草今昔
さきほど二月下席浅草、終わりました!
いやーこの芝居、途中までは調子よかったんですが、
25日ですか……急に暖かくなった時に、物凄い量の花粉がっ
春一番って、花粉も一番飛ぶんだなぁ
(T_T)
あれが総てでした。
でも、今日は雨が降り落ち着いたのでいい気持ち。
この芝居、三遊亭金遊(さんゆうてい きんゆう)師匠と
楽屋で一緒になる機会が多くて、いろんな話を聞くことができた。
また高座そのままのボソッとした口調で言うから面白いんですよ!
最後はだいたい下ネタになっちゃうんですけど。
一番興味深かったのが、ここ浅草演芸ホールの話。
今でこそ一階が落語の定席、上が色物の劇場になってるが、
私が入門した頃は、上がフランス座というストリップ小屋だった。
ストリップつったって、そんじょそこらの遊び処と違って幕間にはコントもやり、
たけしさんや萩本欽一さんもいた由緒ある劇場だったのだ。
このフランス座、金遊師匠が前座をやっていた頃は一階にあって、
逆に落語の寄席は上だったという。
どちらも同じ会社が経営してるから、
その時いちばん客が入る出し物を一階にするのは資本の論理として当たり前なわけだが、
当時は落語よりストリップの入りがいいというのが、なんとも意外な気がする。
で、落語の小屋が上にあるのをいいことに、
若手は下のストリップを見下ろし放題だったらしい。
ある場所の蓋を外すと下の舞台が見られたんだそうです。
「○○○なんか出番もないのに楽屋へ来て、一日ずっと見てたんだぜ」
(金遊師匠談)
なんかホノボノして微笑えましい。
そういや私が前座の時も、
上(フランス座)に行く階段があって、大黒君がしきりに探検してたなぁ。
確かフランス座のおねえさんに、オニギリかなんか貰ってたような。
あれ、今度ブログに書いてくれよ。
そんな猥雑なパワーが漲っていた古きよき時代の浅草を知らないのは残念だけど、
最近また浅草に、以前の活気が戻ってきているような感じもする。
この芝居もちらほらと若い人達が見に来ていたし。
これからも芸人として、そんな浅草の時代の移り変わりを見て行けたらと思ってます。
【おまけ】
浅草へ向かう途中、中央線から毎日見ていた御茶ノ水駅付近の神田川。
どんなに花粉が飛んでも頭がボーッとなっても、ここの景色は美しい。